どうも同居人の視線が変だ、と気が付いたのはかなり、いや相当前のことだった。
 気が付けばその視線は己の身体のパーツをじっと見つめている。
 それは手だったり腕だったり背中だったり目だったりとその時に寄るのだが、何故見ると聞いても同居人はへらっと笑って『格好いいから』で終わらせてしまう。
 格好良い、と言って貰えて嬉しくない訳ではないのだが、何処か腑に落ちない自分がいるのだ。
 何故そこ迄じっと見ているのか。
 そういう彼の方こそ、その姿形の造作は見る者を振り向かせずにはいられない程のモノだと言うのに。
 長い睫毛、男としては滑らかすぎる肌、艶やかな金の髪、そして不思議な色合いの琥珀の瞳。
 ヒトとしては整いすぎたその創りの全て。
 じっと座って本を読んでいる姿はまるでジュモードールの様で。
 実はこの人は自動人形か何かなのではないか、と不安に駆られもする。
 時折抱くその不安は、一体何処から来ているのかは全く判らないのだけど。
 確かめたくなるのだ。
 ここで生きて、鼓動を打って、呼吸をしているのか、を。
 
 
 

 そして今、彼は読んでいた本を傍らに置いた侭、ソファに寝転び静かな寝息を立てている。
 その頬は抜けるように白く、元々の肌の色のせいなのか肌に余り赤みが差さないようで。
「……ビスク、だよなぁ……見てるだけなら」
 もしかして指で突ついたらカツンとか音を立ててしまうのではないかとさえ、思う。
 それほど、何処かかけ離れた、その存在。
 その頬に触れようとそっと指を伸ばしかけ、やっぱり止めてハイデリヒはふぅと息を吐いた。
「綺麗…だな、本当に」
「そりゃ、どーも有難う」
 あと纔で触れるか触れないかという頬の筋肉が、いきなりクイ、と動く。
 そして耳に入った声にハイデリヒは椅子を後ろに倒す勢いでのけ反り身体を引いた。
 眠っているとばかり思っていた彼が、トパーズの瞳をぱちりと開けて笑みを浮かべている。
「な、なななななな何だよ起きてるなら起きてるって言ってくれればいいじゃないかエトヴァルト!」
「エドワード」
 呼ばれた名をドイツ読みからイギリス読みに訂正するとエドワードは少しだけ眉をすがめた。
「何度言ったら判るんだ、ハイデリヒ。オレはエドワードだぞ?そんな呼び方するな」
「だったらいい加減ファミリーネームで呼ぶの止めてくれよ!」
 名前の呼び方など以前から言い合っている事項ではあるのだが、びっくりしたお陰で少しばかり焦っているハイデリヒには余裕を持ち上位に立ったエドワードのその表情すら今は気に喰わない。だから普段は気を付けて触れないようにしている事項にうっかり思考が向いてしまった。
「僕にはちゃんとアルフォンスという立派な名前が…っ?」
「それ以上言うな、ハイデ」
 ムキになって喋っていて気が付かなかったのだ。
 は、と言ったこととそれに返された返答に気が付けば、目の前にはすこぶる冷たい眼差しをしたエドワードの顔。そしてその左の指は今まで動き続けていた己の唇にひたり、と当てられている。
 しまった、と思うと同時に己の表情が陰ったのをハイデリヒは感じた。
 だが、それに返った返答は予想外のものでしかなく。
 エドワードは冷たい視線をゆるりと解き口元だけをそれは見事な微笑に形取ってハイデリヒを見つめた。
「言えばお前を今直ぐ口説く」
「……あ?」
「だから、口説くぞハイデ。と言うより今直ぐお前にキスしたいんだがなオレは」
 唇に当てられていた指がついと顎に回り、そのままくいと上向かされそうになったハイデリヒはその手を慌てて払い退け先刻後ろに押し退けてしまった椅子に座って再び後ずさる。
「な、なっ、何で?」
「何でって…キスするのに理由がいるのかお前は」
「あ、当り前だろ!付き合ってる訳でも無し恋人でも無しましてや貴方は男で僕も男だ!」
「その男に綺麗だと寝込みに囁いてあわよくば触ろうとしたのは一体どーこのゲルマン人だ」
 その台詞に言葉をつまらせ返答出来無くなったハイデリヒを見て、エドワードはクク、と喉の奥で笑った。
「まぁ、オレの寝顔に欲情して頂けたならそれもまた良し」
「そんな事してません!」
 その綺麗な顔から想像もし難い俗物的な台詞に、思わずハイデリヒは顔を真っ赤に染め派手な音を立てて立ち上がると珍しく声を荒げて叫ぶ。
「そりゃぁ綺麗だとは思ったよ!貴方だって自分が綺麗なことぐらい認めてるじゃないか!でも欲情なんて僕はしてなーいっ!」
「ほぉ、じゃあお前は聖母かはたまた神に全てを捧げた聖人のように全く性欲は無い、と」
「いやそれはその一応人ですからキスしたいとかそれ以上のコトしたいとかそれはまぁ一応…っ!」
 己の口から出た言葉に一層顔というか耳迄赤くして口を手で覆いぺたんと床に座り込んだハイデリヒに、エドワードは満足げな顔をして頷いた。
「何だ、そうか、そーかそーか。やっぱりお前も男かハイデリヒ、オレは少し安心したぞ」
 ゆっくりと立ち上がりハイデリヒの傍らに立つとまるで幼い子どもにしてやるようにその短く整えられた金の髪をくしゃりとかき回す。
 全くこの人は何処までも自分を子ども扱いする…とハイデリヒは心の中で一人ごちた。
 彼の人の弟に瓜二つだという話は聞いているが、ここまでそういう扱いは無いだろうに。
 キスしたい、という感情も、きっと肉親に対してのそれだろうか。
 そう考えて何故か胸の何処かがしくりと、泣いた。
「エトヴァルト…じゃない、エドワード。何時になったら僕を名前で呼ぶのさ」
「……お前がオレのモノになったら、かな」
 いっそさっぱりと言い放たれた返答にハイデリヒは返す言葉を失う。だがエドワードはそれを見て不敵に笑うと言葉を続けた。
「だがなハイデ、お前をアルフォンスと呼ぶだけの勇気が無いのだよ今のオレには」
「……え?」
「お前、似すぎてるから。未だお前をアルと重ねちまう…まぁ、弟にはそういう…口説きたいだのキスしたいだの抱きたいだのという感情は抱いて無かったけどな」
 ゆっくりと、見下ろしていた視線を下ろすようにハイデリヒと向き合い義足を投げ出して座る。
 数秒前の不敵さを何処かに置き去りにして、エドワードは表情を困ったような笑みへとすり変えて。
 胸の何処かに広がった痛みを伴う水が、一息に広がるようなそんな感じが、した。
「でもお前にはあるんだ。そういう感情……恋愛感情が。でもオレは、お前の何処かに弟の影を見てしまっている」
 揺れ続けていた瞳の光が不意にハイデリヒを捕え、表情と共に鋭く真剣なものへと代わる。
「それでも、オレが好きなのは弟ではなくお前だ、アルフォンス・ハイデリヒ」
 何と返していいのか、判らない。
 これは、相当なレヴェルの大告白を聞いているのでは無いのか。
 以前から好きだのキスさせろだの色々言われて来たが、きちんとしたことを言われたのは初めてだ。
「まだ曖昧な今のオレの心で大切なお前の名前を呼びたくない。だから…」
 おまけに、名前を呼ばないのも意地悪やからかっているからだと思っていたと言うのに。
 これは、こんな事由はそれこそ反則ではないか。
「オレがお前を呼ぶ名はハイデリヒ、だ」
 この世の何処にだって存在しえない完璧な造形が、今目の前で有り得無い程美しい表情でほころんだ。
 それは綺麗で、それでいて精悍で、なのに何処か可愛くて。
 愛おしくて、切なくて、狂おしくて。
 表現出来る言葉が見つからない事を悔やむ暇も無い程に、胸を締め付ける。
 この感情は……紛れもなく恋、だ。
 気付かぬまま何時しかこの美しく強い黄金の光に魅了されていた、なんて。
 完敗だ、とハイデリヒは思考の中で白旗を掲げた。
「エドワード…」
「ハイデ、オレは何時か必ずお前の名を呼ぶ。その時は……」
 言葉を一度切ったエドワードは目を伏せた。
 長い睫が頬に柔らかな影を落し、彼の顔が今だ少年と青年の狭間にあることをその輪郭が物語る。
 だが、目が見開かれたと同時に吐き出された言葉はそんな綺麗事に浸っている暇すら与えてはくれない。
「お前をこの手に抱き締めてオレの下で歓喜に鳴いている時だとオレは今ここで断言してみせる!」
 ガン、と頭を鈍器か何かで殴られたような衝撃がハイデリヒを襲った。だが本当にフライパンか銅鍋で頭を殴られてこんな酷いショック状態だけで済むんだろうか、とハイデリヒは激しい目眩に身体が傾いでいくのを感じるが、その身体は一向に床に激突しない。
 どうした事か、とおそるおそる目を開けて見れば、覗き込むのは綺麗な琥珀の双瞳。上手く膝の上に頭を置かれ、右手を額に乗せられて大丈夫か、と声をかけられる。
 さっきとはまた違う、心配気な顔。
 大丈夫と笑って見せたらその顔は直ぐくしゃりと破顔して、歳相応とはまるで思えない幼い笑顔を見せた。
 そうしてこの人はこうもギャップが激しいのか。
 綺麗で格好よくて強引で、でも何処かの歯車が動作に影響のない箇所で噛み合わない。
 でも、だからこそ、この人はこの人で有りえるのだ。
 完璧なモノ等、この世界の中に有る筈が無いではないか。
 不完全で、不安定で、未完成で、未完結。
 だからこそ愛しくて、たまらない。
「全く…貴方と来たら本当に唐突だ」
「でも、好きだろう?」
 うっかり見つめたら融けてしまいそうな艶の有る顔にどきりとしたが、素知らぬ振りでハイデリヒはそっぽを向いて鼻で笑い返す。
「さぁ、どうだか」
 不意に、目の前に影が落ちた。
 頬に冷えた指が当たりそっと顔を上向ける。
 そして掠めるように唇に触れた、わずかで小さな、柔らかな熱。
 それが何かを判らない程子どもでは無い。
 かぁ、と熱に染まる頬と今だ弱い痺れを持つ唇を纏めて手のひらで覆って上向けば、至近距離で微笑むエドワードの顔。
「それでもオレはお前を愛してる、アルフォンス」
 囁くように、聞こえないように囁かれたそれは、ハイデリヒには十分すぎる爆弾だったようだ。
 一気に顔というか耳というか首というかともかく多分全身真っ赤に染めて膝枕をしてくれていたエドワードを起き上がり様に部屋の隅まで突き飛ばす。
「本当に貴方は唐突過ぎる!舌の根も乾かないのにもう言うか!!」
「呼びたかったんだからいいだろう?それに……」
 痛ぇ、と打ち付けた頭を摩りつつ起き上がったエドワードはにやりと意地悪い笑みを浮かべて視線を投げた。
「満更じゃない様だな、ハイデ?」
「うるさい黙れ!貴方なんて大嫌いだエトヴァルト!」
「おー、何とでも言えオレにはお前のその叫びが『大好きだエドワード!』に聞こえるぜ」
「貴方まさか難聴?いっそ医者に行ったらだどうだ!」
「この病気は医者じゃ治せない。治せるとしたら特効薬はお前だ、ハイデリヒ」
「は?何でだよ?」
「これは恋の病なのだよハイデリヒ君。だからきっとお前とキス以上に進めば治る!」
「いっそその病で死んでしまえーーーー!!!」
 
 

 何時しか鼓動は早鐘になり。
 確かめる間もなく伝わってくる。
 何時か帰るのだという不安は今も付きまとうけれど。
 それでも確かめずにはいられない。
 今ここで生きて、息をして、そして。
 互いを愛しているのだ、と言うこの素晴しい事を。
 だから今はただ、そっとそっと静かに祈ろう。
 想いの分だけきらきらと綺羅星の如く輝いて、その光が何時も君を照らす様に。
 
 
 
 
 
 



『恋の綺羅星〜When the lovelight stars shining the ought his eyes.』 05.4.12


 
 
 
 

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