「なんですかこれ?」
小さなグラスには見た事無い物体が満たされていた。
いや、個別なら見た事はあるのだが、合体したモノは未だかつて見た事は無い。
「ま、いーから呑め」
ついと差し出されたそれは小さなグラス。
蜜色の酒に浮かべられた白い部分は、クリームだろうか。
そしてその上にちょんと置かれた、菫の砂糖漬け。
「……一体これは」
「酒だよ酒、ミードにミットザーネしてヴィオラの砂糖漬け乗せただけだ。酒は呑めない訳じゃなかったよな?」
「そりゃあまあ、呑めるけど……」
「じゃあ呑め。命令だ」
言い出したら聞かないのだ、この人は。
そう思い直し、ハイデリヒは静かにグラスを持ち上げた。
薄い縁に唇を当て、そっと流し込めば甘い甘い琥珀の蜜酒がクリームのとろみと混じり合って流れ込む。
一息に呑む物ではない事はその一瞬の甘さで充分に理解出来たから、一口含んでグラスを元に戻す。
「……どうだ?」
覗き込む、そのグラスの中の酒と同じ色の瞳が何処か心配げに揺れるのを見て、ハイデリヒはクスリと笑みを浮かべた。
「美味しい…よ、うん。」
「ならよかった!」
瞳の色が一瞬で明るさを取り戻し、足取りも軽く部屋を出ようとしたその後ろ姿にハイデリヒは一つだけ浮かんでいた疑問を投げた。
「ねえ、エドワード…これ、なんて名前?」
「あぁん!?」
びくり、とその背が凍り付く。
「だから、なんて名前なの?カクテルってそれぞれに名前があるだろ?チョコレートのお酒にクリーム浮かべると天使の翼って名前になるのとかさ」
「…オレが知ってるのと違うぞそれ、確かキングア…いやそんな事は良い、いいんだ…うん、いいんだ。じゃあなお休みハイデ」
「逃げるな」
何処か焦るように再び向けられた背に向かって今度こそハイデリヒは氷の槍のような声を発した。
「何だよ、言えないような名前なのか?そんな妙なモノ僕に呑ませたって言うの?」
「い、いやそうでなく」
「そうでないなら何だって言うんだよ!言ってみろよ!」
う、と言葉に詰まったエドワードは、しばしもごもごと何かを口の中で繰り返していたが諦めたかようにそれはそれは小さな、普段からしたら考えられないような声でその言葉を放ったのだ。
「だってそれはオレが考えたから名前なんてねーんだよ……」
珍しく顔を上気させるその仕草を見せられて、ハイデリヒは呆れつつも困ったように微笑むしか無かった。
「……だったらオリジナルだって言えばいいだけじゃないか」
「いやそうなんだけどな…うん…まあ気に入ったならいいや。お休み」
「うん、有難うエドワード」
蜜の髪ををがしがし掻き回しながらドアの向こうに消えた彼のらしくない行動を微笑ましく思いつつ、ハイデリヒはグラスに浮かぶ菫の花をつまみ上げて口に放り込んだ。
「……あー、ヤバかった」
エドワードは閉めたドアに背を預けて大きなため息を付いていた。
もう少しで、そのカクテルの本当の名前を口にしそうになっていたから。
優しい金色にその白さを重ね、空の碧は人工物しか見つからなかったから野に咲く小さな菫を代わりに置いて。
「…言える訳ねぇじゃねぇかよ」
その、小さな硝子の杯に閉じ込めたそれは愛しき人。
そんな気障ったらしい事を。
その本人を目の前にして言える訳が無い
「こればっかりは一生墓まで持って行ってやる、オレだけが知ってればいいんだから……」
そして。
独り言の声が大きい事に気が付かないエドワードの扉一枚はさんで反対側。
うっかり事の真相を聞いてしまったハイデリヒがあまりの気恥ずかしさに一人へなへなと腰を抜かしてしまっていたのは言うまでも、無い。
密めし菫の蜜の名を 2007.2.14
こそっとヴァレンタインSS
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