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『いつまで…一緒にいられるのかな』
そう言って、あいつは笑った。
その言葉の意味を、オレはもう知っていた。
だからこそオレは、嗤うしか出来なかった。
あいつが倒れたのはこれで何回目だったか。
寒くなれば咳が増えるのも、天候によって体調が激変するのももう理解はしていたのだが、その度に医者は呼ぶなの一点張り。
流石のオレも、今回ばかりはその言葉に従わずあいつの主治医に電話をかけたのだ。
主治医は静かに診断を終えるとドアの側に立っていたオレに外して欲しいと言って来た。
「少し彼と話がしたいんだ、いいかな?」
「…かまいませんが」
「すまないね」
人のいい笑みを浮かべる医者に軽く会釈してオレはドアの外に出る。
正直気が気ではないのだがああ言われては仕方がない。
だが、所在無しに捲る本の内容は全く頭には入らず、規則的に刻む時計の秒針の音だけが意識に入り込む。
まだ十分も経ってないのに、何時間も経過したような感覚が脳を苛んで。
少し苛立ち始めた矢先、電話のベルが鳴り響いた。
「はい」
正直助かったと思いながら取った受話器から聞こえたのは、知らぬ女性の声。
病院の看護婦だという彼女は、医者に急患だと伝えて欲しいと慌てた様子で話して一方的に電話を切った。
これは悠長に出て来るのを待ってる内容ではないな、と判断してオレはあいつの部屋のドアの前に立ったのだ。
そして、ノックしようと左手を掲げたとき。
いいかげんにしなさい
いくらあんていしているとはいえ
これいじょうあのしごとをつづけるのは
きみのよめいをちぢめるだけだ
ぼくは
こうかいしたくないんです
あきらめたくない
あとすうかげつも
いきられないとしってもか
聞こえた声に、オレは脳裏が灼けたような気がした。
今、聞こえたのは何だ、と。
誰かが頭の中で叫んでいた。
ノックしようとした手から、力が抜ける。
だけど、ここに立ち続けてしまう方が、知った事を知られる事になる、と。
歯を食いしばり、力の入らぬ手を握りしめドアを殴りつけた。
「すいません!」
無駄に声が荒れるのが自分でも嫌な程判ったけれど、それを取り繕っている余裕もなく。
「病院から急患が出たって電話がありました。早く戻って下さいという事です」
オレは、閉じたままのドアに向かって声を張り上げる。
「先生?どうかしましたか!」
「……ああ、済まない」
静かに開いたドアの前には鞄を持ち上げた医者の姿。
「薬はそこにあるから、きちんと飲ませて欲しい。では、また何かあったらすぐ連絡を」
「有難うございます」
静かに立ち去るその姿に、盗み聴いた事を悟られたかどうかは判らない。否、医師ならばあえて『聴いている』方がいいと思ったのかもしれない。
オレはドアが閉まるのを見届けるとあいつの部屋に再び脚を向けた。
「エトヴァルト」
「おう」
起き上がろうとしたのを制して、オレは近くにあった椅子を引き寄せ腰を下ろす。
やっぱり顔色は良くない。頬が僅かに色づいて見えるのは熱のせいだろう。普通の人が見たら健康的な顔色の部類に入る様に一瞬見えがちだが、普段から顔色の良くないコイツの場合は逆になる。これも一緒に暮らして来て気が付いた事だ。
そして、コイツはずっと抱えて来た爆弾の事をオレに話して来なかった。
話す必要はないと思われたのか。
それとも話したくはない、知られたくないと思ってくれているのか。
「……どうしたの?」
「あ、ああ、いや。ええと……飯、喰えそうか?大丈夫なら何か作るし、食べたいものあったら買って来るし」
「今、何か考えてただろ」
こういう時だけは鋭いのだ。
いや、いつだって人の考えには聡い。
だけど、言えない事は誰にだってある。けれど。
「…いつから、悪いんだ」
あえて、オレはそれを口に乗せた。
「昔から、かな」
そう言ったあいつの眉が一瞬潜む。
気が付いてないんだな。
お前嘘付くといつもそうなるんだぞ。
そう言ってしまいたかったが、言葉は飲み込んだ。
「ちゃんと薬飲んで、栄養取ってれば治るのか?」
「うん、多少はね。一生つき合う事になる病気だから仕方無いんだ」
前に話しただろ?と言われたが、さっきの言葉を聴いてしまった後では空返事しか返せない。
そうだったな、と笑って返すと、あいつはいきなり。
「ねぇ、君のいた『世界』の話をしてよ」
「……いきなりなんだよ」
「聞きたくなったんだ。君が最強の錬金術師で、弟君が鎧の身体で、賢者の石を探して旅してた話」
いままで、そんな事は一度だって言った事はない。
「あの世界は、童話でも寓話でもない」
話してもそれはオレからで、その話をお前は夢物語だといつも。
「判ってるよ」
この世界では有り得ない事実だと、いつも。
「現実、なんだ」
いつもそう言っていたじゃないか。
「だからこそ聞きたいんだ。君が生きた世界の話を」
何故今、このタイミングでそんな事を言うんだ。
「……ハイデ、お前」
声が、知らず低まった。
真正面に顔を見つめる事が出来なくなって、かたかたと震える右の指を感じて。
「何時か君は帰るだろう?だから聞いとかなきゃって…思っただけ」
オレはただ、歯を食いしばる事しか出来なかった。
「エドワード、僕等は」
そんな言葉なんか聞きたくはない。
オレのココロは、そう叫んでいたのだろう。
「いつまで…一緒にいられるのかな」
その言葉の意味を。
暮らし始めた時に小さく呟いたあいつのその言葉に隠された意味、を。
あのときのオレは知らなかった。
でも今は、その意味を知っている。
その言葉の持つ意味も重さも、知っている、から。
「お前が、オレを追い出すまで、だな」
オレは、ただ。
曖昧に嗤い返してこう言い返すしか、出来なかった。
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『冬のないカレンダー』 2008.10.12
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