エ ー デ ル ワ イ ス に 血 が 燈 る
面倒なことは嫌いだった。楽しければ深く考えなかったし、何せ自分には目的があるのだ。弟に会うという目的が。異世界に居る自分が弟とコンタクトを取るためには学ばなければいけないことが多かった。この世界ではあまり考えないような自分の理論は周りからすれば珍しく、疎ましがらたり重宝されたりした。
忙しかった。息抜きが必要だった。エドワードも年頃であるし、大学という環境はそのための情報を得るのに何の不便も無いところだった。だがエドワードが息抜きに選んだのはどういうわけか、自分の一番近いところに居る人物だった。
アルフォンス・ハイデリヒという、エドワードと共に下宿で暮らしている青年が居る。彼は酷く優しく、顔も良く成績も申し分なく、あまりに表面が良いと普通は裏があるのか、と思うものを、そこまで思考が行き着かないほど心底純朴であった。彼は誰からも普遍に愛されていたし、エドワードももちろん、この弟に似ている青年(それはもう限りなく似ているのだ)に、彼から与えられる優しさと同じくらいとまでは行かないが、エドワードなりに思い入れはあった。
だがそれと彼にエドワードが手を出したこととは、あまり関係がなかったのだ。
ただ、そばにいたから。
好きという感情と劣情は、自分だけに関しては大して密接な関係ではないと思う。弟に逢いたくて逢いたくてたまらないのは事実であるが、弟を抱きたいとは思わない。ハイデリヒを抱きたいとは思うが、大して好きでもない。弟とハイデリヒとを混合しているのかとふと考えたこともあるが(最初は少しそうだった)、どう考えても自分の中でそれは繋がらず、エドワードは考えるのをやめた。これは息抜きなのだ。
最初の夜は抵抗された。エドワードはその時非常に気が苛立っており、ハイデリヒの頬を打った。生まれたばかりの猫のようにちいさく震えて、おとなしくなったハイデリヒを見た途端に興醒めたが、荒ぶる自身を静めるためになおざりに抱いた。男に体を開かれることは初めてであったらしく、彼は羞恥と激痛に終始涙を流した。
次の日は朝に目を覚まして台所に下りると彼がいて、エドワードは彼がいないようにふるまった。ちいさくmorgen.という声に顔を上げると、彼がこちらを見てそう言ったのが判った。エドワードは声をかけられて初めて、顎をしゃくって、いつものように返事をした。下宿のグレイシアはいつもと違う二人に口には出さなかったが首を傾げていたから、血のついたシーツとベッドカバーは家の外のどこぞに棄てた。
ハイデリヒは次の夜は抵抗しなかった。エドワードは自分たち二人がまるでロボットでもあるかのように行為をした。行為の最中、ハイデリヒは微笑さえ浮かべた。彼の微笑みの理由などエドワードにはどうでもいいことだった。
エドワードは大学で疲れが溜まるとハイデリヒを抱いた。レポートがうまくいった時も、口をすっぱくして提案していた項目が認められた時も、誰かと喧嘩をした時も、夜はハイデリヒの体を抱き、口付け、跡を残し、存分に貫いた。ハイデリヒはどうして自分にこんなことをするのかということを、ずっと聞かなかった。
ハイデリヒはエドワードを優しく扱った。どれだけ乱暴に抱かれようが、エドワードを力の入らない腕で抱き締めさえした。エドワードはそのことにも何も触れなかった。血はもう、シーツにはつかなくなっていた。
大学でもハイデリヒはなんでもないように振舞った。流石に体を動かす単位は辞退していたが、相変わらず回りの人間の評価は良かった。ハイデリヒのいるところには光が燈るようだった。彼の微笑みは消えることは無かった。
その柔らかな微笑みは、ハイデリヒをすべて幸せに導くものではなかった。誤解や勘違いは常に彼の周りに付きまとっていた。
夜になってもハイデリヒが戻らないという事を聞いて探しに出たのは、エドワードがグレイシアにハイデリヒとの関係を知られたくなかったからだった。仲が良かったのにどうして、という疑問はこれでほぼグレイシアの表情から消えた。エドワードは冷えた夜道をポケットに手を突っ込みながら歩いている。
ゴミだらけの路地、誰かが残したばかりの汚物、明かりもつかない街灯。こんな情勢下で一体どこをほっつき歩いてるんだと舌打ちした瞬間、どこからか喧騒が聞こえてきた。
叫び声。罵り。何かが壁にぶつかる音。人間の体を殴る音。それらは聞こえたと思うとすぐに止み、複数の人間が去ってゆく足音が聞こえた。
エドワードは何故かハイデリヒがそこにいるような気がした。足取りを止めて、また歩き出して、喧騒の聞こえた路地を覗き込んだ。
果たしてハイデリヒはそこにいた。仰向けに倒れこんで、意識を失っているらしかった。
「ハイデリヒ……ハイデリヒ!」
エドワードはハイデリヒに駆け寄った。不自然にボタンの飛んだワイシャツ、打たれて赤く腫れた頬。エドワードは一瞬躊躇ってからハイデリヒの上半身を抱えて起こした。
「ハイデリヒ! おい! 聞こえるか? 大丈夫か? 生きてるか?」
「………………………ぁ、」
うっすらと目は開かれたが、目の焦点が定まっていない。青い瞳がエドワードを確認すると、力の入らない腕でエドワードの腕をぎゅうと掴んだ。
「…………エドワード、さん………だ…………」
「おう、俺だよ。何だお前、何されたんだ……いや、とりあえず運ぶぜ。誰にこんなことされたのかはあとで」
「エドワードさん」
掴んだ腕の力が強くなった。エドワードはハイデリヒを抱きかかえたまま立ちあがろうとしていたのをやめて、彼の顔を見た。ハイデリヒはうっすらと微笑んでいる。
「エドワードさんのおかげで……助かりました……」
「……なに?」
「これ。見て下さい」
ハイデリヒはそう言って、自分の肌蹴られた胸元を手のひらでなぞった。
「貴方がつけた跡……。これを見て、あの人たちはなんだか悔しそうにして、ボクに何もせず帰っていったんです……く、薬、飲まされて、殴られたり……しましたけど」
ハイデリヒは目を瞑った。エドワードが抱きかかえた重みは恐怖の余韻で震えているのに、ハイデリヒは微笑む。その口調は夢見るように優しく、愛おしく。
「ありがとうございます……嬉しいな。エドワードさんの……おかげなんです……」
エドワードは殴られたように固まっていた。しばらくそのまま動かなかったが、そのうち震える腕をハイデリヒの冷えた背中に回して、抱き締めた。ハイデリヒは動かせる範囲で顔を傾け、エドワードの髪に頬を寄せた。ハイデリヒは安堵のためか再び気を失ったが、エドワードはまるで自分の熱を分け与えるように彼の首筋に顔を埋めることしか出来なかった。動けなかった。
二人の影は重なったまま、壊れた街灯に照らされていた。